あれこれ(2024年4月周辺)

図らずも自分が再構成されているのを感じる昨今。今更!

己はこんなにも調子乗りだったかと考えると頭が痛くなってくる。元来新しいコミュニティに飛び込むタチでもなく、常に決まった顔決まった人としかお喋りをしなかった私も、さすがにこの時期には知らない顔知らない人と話す機会が多くなった。どのくらい多くなったのかというと、もう信じられないくらい多くなった。意味不明。誰か助けてください。でもフォスのほうがもっと辛いよな、ごめん、俺もっと頑張るよ。(この間、全話無料公開の期間中だけその漫画について騒ぐのはネット民の悪癖だという意見を目にした。ほんとにね。私は馬鹿で、ネットは愚かである)

とにかくここ最近口が滑りまくる。滑るというか制御不可能。何か特別失礼なことを言っているわけではない、と信じたいが、何か自分の口調が軽薄になっているのを感じる。ここでいう「軽薄」とはウェ〜イw!みたいな感じでもネアカという意味でもなく、ただひたすらに信用のおけない、吹いたら飛んでしまう重みのない言葉しか出ないという意である。なんかもう「最悪人間」になっているのだが、少なくとも4月に入る前はかろうじて「馬鹿人間」で済んでいたはすだ。
何故こんな状態に陥っているのかというと、単純に言えば焦りと媚びな気がする。

知り合いが一人もいない環境に放り込まれ(自主的に)、何かしなければ何か人と関わりを持たなければ周りに追いつかなければ、そういった焦りがまず大きくあると思う。人との関わりや会話はかなり精神状態を左右する。自分が満足する会話量と自分語りさえできればそれなりに精神は安定するが、できないときは本当に落ち込む。そこで崩れていたらもう今後何もできなくなる気がしてならない。なので早いところそこそこ自己開示できる人を作りたくて、そのくらい関係性を進めたくて、焦っている。そして関係性を進めるには相手に好かれないといけないと思い、媚びる。口が軽くなる。思ってもいないことを言い、共感できないことに「わかる」と言ったりする。そうして時々とっさに嘘をつく。気がついて嫌になる。まあこれですわな。

しかし焦りも媚びも精神の均衡も全て私側の事情であり、私が懸命に話しかけたり関係を深めようとしている相手はそうではないかもしれないことは忘れたくない。そもそも人と話さないと精神が云々は完全にこちらの事情であり、そのあたりの感覚や性質を共有していない人にとっては、他人のメンタルケアなんて不吉な役目負いたくない。当たり前に。私だって嫌だよー(!?)

そのあたりを理解して適切にほどほどに仲良くなりたいんですが、どうしたらいいですか? 鼻垂らしてる小学生に聞けばわかりますか? それともこの世で一番何も考えてなさそうな中学生に聞けばわかりますか? 私のこの疑問は、年若い子どもは焦りも媚びもなくのびのびとしていて、そして何よりも本質的であるという無意識の若年層神格化に基づくものなんですか? なんで成城石井ってあんなに高いんですか? ワッフル4つで800円!?!?!? 破壊します。

というか、こんな失言癖は昔々からあって、それに最近自覚的になっただけなのかもしれない。最近己を省みることが多いため。それは…良いこと…なんでしょうか!?

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かの発話に私の知らない名前が出てくると驚く。前述したとおり私は限られたコミュニティの中で生きてきた蛙なので、基本的に知っている人の話題でほとんどの会話が完結していた。しかし「〇〇ちゃんが企画してくれて」「〇〇って知ってる? 知り合いなんだけど」「〇〇、良い奴っすよね」とかさー

なんなん? 

「そんな奴ら知りませんよ」ということが言いたいんじゃなくてさ、そんなに他人の名前口に出して、バチ当たんないんすか? ということが言いたい。

いやなんのバチ?

私は思ったより名前を大事にしていたらしい。大事にしているというか、不可侵だと思っている。他人の名前を呼ぶということはその他人を自分の領域に引き込むことで、自分が他人を引き込むのも他人に引き込まれるのも自己意思で決められると思っていた。実際はそうではなく、名前はいろんな人の口を渡ってポンポン跳んでいる。ついでに私の耳に入り、すぐに忘れるとはいえ数秒だけ私の領域に留まる。名前が勝手に泳いでいるようで怖くなる。あんたの名前はあんたのもので、私の名前は私のものなのに!?

この間「火星さんと同じコミュニティにいたって人に会ったから、火星さんのこと伝えといたよ」と言われた。私の名前も泳いでいる。とりあえずお礼を言っておきましたが、なんのお礼ですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビョン・ベッキョンさーん

 

spotify.link

 

あなたの身体と脳味噌と魂に流れるリズムと音、音楽そのもの

 

4月20日、ベッキョンさんの歌声を拝聴……

iPhoneとかいう空洞の機械を通してもベッキョンさんの歌声はいつも魂と凄みに溢れているのだが、やはりそれも生歌声には勝てないということを痛感。iPhone売ります。

私はベッキョンさんを昔から知っているわけではない。せいぜいここ三年くらいである。なので今回ベッキョンさんの姿はもちろん、パフォーマンスも初めて肉眼で観測した。ベッキョンさんって、生きてんだ。歌声も身体もトークも何もかも素晴らしく、きちんと地に足ついていて親しみがあるのに、何処か神聖さがチラつく。地上で努力を重ね、そして天上から祝福されているんだね、ベッキョンさんは。

何より驚いたのはベッキョンさんの身体。こういう言い方をすると「裸体に湧く人」みたいになるので嫌なのだが(私は全ての芸能人に”セクシー”を求めておりません。)、ベッキョンさんの四肢にはリズムが迸っている。音楽がある。ベッキョンさんは身体の中のそれを動きで操って、ひょいひょい空間に流している。Betchaとかめちゃくちゃ空間に音楽充満してて本当に気持ちよかった(?)

平たく言えば彼は音楽に愛されている(愛させているというべきか)。カイきゅん(キム・ジョンインのことです)がダンスに愛されているのとはまた違った愛され方だ。

上手く言えないけど、さっきの話に即するとカイちゃんは浮いていて、ベッキョンさんは地に足がついているんですよね。ここに優劣はないです。

あまりない知識で言わせていただきます……

カイちゃんは本当に本当に楽しい楽しいとパフォーマンスをしている。彼にとってパフォーマンスは仕事だし本人もそれを熟知しているが、それはそれとして踊ると楽しさが前面に来て滲み出てしまう。観客にも彼が浮足立っているのがわかる。

一方のベッキョンさんはパフォーマンスを楽しみつつも(実際、今回私は入った公演では結構はしゃいでいるようだった、かなりうちらと話してくれたし)、仕事として割り切れる部分がある。プロフェッショナル仕事人というか。楽しみとパフォーマンスを切り離しているように思う。彼は、器用な方だから…(何も知らないくせに知ったような口利くんじゃないよー)(自己叱咤) その切り離しというか楽しみと使命感の共存が、ベッキョンさんに私が抱く「地に足がついている感覚」の源泉になっている気もする。

 

お二人とも最高存在で…。

 

公演後はベッキョンさんの御神託どおり、ファミレスで肉食べました。

 

7月のド・ギョンス…

受けて立ちます!!!!!!!!!!!

 

その前に新ソロアルバム聴きます。妙ちきりんな掃除機ダンスは知ってます。

 

 

 

 

 

 

 

ていうか、人並みの生活してたら新潮120周年買い逃したんですけど

 

村田沙耶香藤野可織岡田利規、九段理江、児玉雨子

↑俺のための回すぎる 覚えてないだけで、自分が選抜したのかも!

 

新潮社、献本まだうちに来てないです 早いうちによろしくねー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近ボルダリングの体験に行ってきた。急に思い立ってというわけではなく、周りが色々と新しいことを始めており(春だから!)、「じゃあ私も春だしなんか始めっか」ということで。

近所のジムで体験コースを予約。応募締切の結構ギリギリに申し込んだので、店員さんキレてないかなと戦々恐々としながら体験日を迎えた。気だるげに手慣れた店員さんと相対して手続きを済ませ、注意事項の動画を見せられる。これが長い。15分。寝ますよ。寝ませんでしたけど。とりま当たり前に危ないことすんなよとのこと。ところどころに専門用語が出てきたが一切の説明はなかった。不親切だろ。

案内された休憩室に荷物を置き、指定された集合場所に行くと、

 

ガキとその父親!?!?!?!?!?!?

 

当然体験コースには他組の応募もある。そして一組一組につきっきりで教えるのも効率が悪いので、当然応募者全員ひとまとめにして教える。

にしても、子ども。

子どもは嫌いでもないが好きでもない。微笑ましいと思う。しかし自分が単純に子ども慣れしておらず、初対面同然の子どもと間近で何か活動をするのは久しかった。なので少し緊張した。大人が、小学生に……。

と言いつつも特に問題があるでもなく体験は進んだ。私もせいぜい新しいコースに挑戦するたび、子どもに一番乗りを譲ることしかしなかった。しなかったが…………

 

子ども、眩しすぎる。

 

なんで奴らはあんなにも屈託なく、無邪気で、恐れを知らず、何よりその明るさを振りまくのか。おかしいだろう。あんな発光はそうそうお目にかかれない。すごすぎる。ガキ眩しすぎる。途中で嗚咽しかけた。別に奴は何もしていないのに。というか「僕これできる!」「僕やる!」みたいなもの言い、あれすごい。何物にも打ち砕かれていないからこそ出せる真っ当さ。私が失ったもの。全能感が眼前で光っている。

あんな時代が自分にもあったのかと思う。それだけで何か善行を働いていた気分になる。たぶん子ども時代の私は鼻持ちならないガキだったけど、その全能感に価値、価値と言うとやけに社会の物差し感が出るので訂正、輝きがあったのだと悟った。

あの頃の全能感を今の私が手に入れたら、もっと物事上手く進むのかなーこんなにくたびれてしまって、と思いながらも体験が終了。腕は棒になった。痛すぎて。

「体験終わったあとも好きに登っていいですよー」と言われ、出した金額の大きさを考えた結果、少しでもより有意義な時間にしようと登ってみた。最低レベルのコースを一回登って終わった。だから腕泣いてんですよ。

体験が終わったあと、「まだ登るの?」と聞いてくれた子ども。私が帰る頃もまだ登っていた。まだきゃらきゃらはしゃいでいる。あいつ眩しすぎるだろ。

お前が打ちひしがれきゃいいなーと思う。絶対に。なんかあったら連絡して。不審者になるから連絡先なんて聞いてないし教えてないけど。でも本当に幸せでいてほしいよ。

 

ボルダリングジムは通い続けたいなーと思っているのですが、思っていたよりも「普通の生活」ってやつが凶悪で……わかりませんね!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は今日「夜明けのすべて」観てきた

 

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本当に良かった良かった良かった、んですけど、また今度で良いですよね

 

 

泣きすぎて目と頭ぼんやりするし、ALL NIGHT LONGだし

 

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